いい論文を書いても社会はよくならない(ことが多い・・・)

14 11 2008

SDMでは、従来型の修士課程での専門的な要素技術の

習得や研究を行う以外に、その技術が社会でどのような価値が

あるか、あるいは今の世の中で何にみんな困っているのかを

現場目線で考えあうための仕掛けの場も数多くあります。

 

その一つが、ALPSというものです。

高齢者の方々が今、どこで、どのように、なぜ困っているのかを

徹底的にチームで議論し尽くします。

正直疲れるし、議論は平行線、ときには元に戻るなんて

こともよくあります。

でも、このプロセスが大事だと思います。

プロセスをみんなで共有することで、目標が一つになり、

様々な方法や手段を目的化せずに取り組みことが

可能になるからです。

 

以上のように、つまりは従来の理工系修士教育のような

論文を書く過程で論理的思考能力や文章作成能力を

鍛えることも大事ですが、ここSDMでは

「その論文は誰にためにあるのか」

を問われるシビアな世界だということです。

いい論文の定義は、査読をクリアできることではなく

社会や世の中に貢献できる可能性があるか、

そしてその技術や構想を、企業が見て価値と認めるか。

 

そこがSDM的な論文の価値であり定義になると思います。

『いい論文が決して社会をよくするとは限らない』

 

忘れずにしたい言葉です。

 

※明日は、日吉キャンパスの来往舎においてSDMの

教育体系や研究内容を発信するイベントが以下のとおり

開催されます。ぜひお近くの方や興味ある方はぜひ。

学生も多数参加します!

http://campus.hc.keio.ac.jp/ora/HRP/

広告

操作

Information

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中




%d人のブロガーが「いいね」をつけました。