6年くらい前、あなたはスペシャリストになりたいか、ジェネラリストになりたいかみたいなことを聞かれた気がする。就職活動のとき?かもしれない。
そのころの自分にはわからなかったが、いまはジェネラリストになりたいと思うし、いまではナンセンスな質問になっているのかもしれない。
SDMに入学したばかりのとき、SDMの方針ではこれまでのT型人間から、π型人間の育成を目指すと先生がおっしゃっていたと思う。SDMのカリキュラムもそうなっていると思う。
昨年、国連大学の環境学のサマースクールに参加したときも、似たようなことを元国連大学副学長の安井先生が言われていた。つまり、複数の専門性をもつべきだというお話だ。
私は、考え方としては、専門性なんて持たない方がよいと思っている。
以下のその根拠となる私の考えである。
- 専門家になると、必要以上にコミットメントが働いてしまうからだ
- 専門家になると、自分の専門以外の仕事に苦手意識ができるからだ
- 専門家になると、上記の理由で専門以外のことをやらずに専門以外のことで能力が上がらないからだ
- 専門家になると、そのうち本当に専門以外のことができなくなってしまうかもしれないからだ
ところで、政治経済学者 Daron Acemoglu の2008年危機に関する論文をみんなで邦訳しよう!というwikiがある。
この論文はなんと1000ページ近くあるらしい。
その要約を以下に引用する。
今回の危機において、経済学はいくつかあやまりを犯した。一つは、景気の波が平準化されてきたことを見て、もうあまり大きな危機は起きないような気分になっていたこと。二番目は、先進国で市場を機能させている制度をきちんと考えなかったこと(途上国の制度についてはあれこれ論じていたのに!)、第三に、古参企業は自分の評判を気にするから無茶はするまいとたかをくくっていたこと。これは謙虚に受け止めるべきだし、またこれをネタに経済学が発展する余地もあるだろう。 しかし現状に対応するために経済学が与えられる教訓もある。まず、目下の一時的なGDP損失(たかだか数パーセント)より、長期的な経済成長鈍化のほうが影響は大きい。それを防ぐためには、イノベーションを促進し、それが可能な産業に資源をふりむけ(自動車や金融にいる人材を別の産業へ!)、そして政治経済環境が既得権益でそれを阻害しないようにすることだ。 だがこういう議論は、いまの危機対応でまったく行われていない。景気後退で、イノベーションが起きる分野(新エネルギーなど)の発展も阻害されかねない。これは景気刺激パッケージで多少は何とかなるかもしれない。だがもっと深刻なのは、資本主義への不信で、自由市場を否定する産業国有化などの動きも再発しかねないこと。いまの救済パッケージは既得権温存と見られかねないものだし。そうした動きでイノベーションが阻害され、経済発展が阻害されるのがいちばん怖い。だから経済学者は、イノベーションと経済発展の重要性を、いまの救済措置の段階で強く訴えよう。
ネガティブに専門性を高めると、優秀でもこの再分配に値する労働者になれないと私は思う。
と、いろいろ書いたけど、上記の文章は自分の考えをサポートする都合のよいフィルターにかけている、かなり個人的な考えだ。
「専門家になってはいけない」という私の考えは、実は、単に自分は記憶力が悪く専門家になりにくいからだ。
それを肯定するために、「専門家になってはいけない」理由を自然とみつけてしまう。
ただ、自分にとっては自分をポジティブにとらえられる情報のなので、悪いとは思っていない。
根拠のところで書いているのは実は、「専門性にとらわれてはいけない」という表現が正しいのだけど、
これだと自分としては弱すぎるし、記憶力が弱いことの弁護にならないから、「専門家になってはいけない」と書いている。都合がいい。
こういったフィルターに関しては、SDMの講義、国際経済システムIIでの北岡 元先生の講義を聞いてようやく認識できた。
つまり、自分の考えはあくまで自分の考えでバイアスがかかっていること、そして、それに気がつきにくいこと。
SDMではこういったことに気づかされる場面が多いと思う。それに気づかせていただいたことだけで、感謝したい。
文章整理されてなくてすみません。
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